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ピナを想う


敬愛するコレオグラファー、ピナ・バウシュが急逝したのは、ちょうど1年前のことです。
あまりに大きな喪失感に、私はなかなか立ち直れず、劇場に足を運ぶことすら躊躇われる日々が続きました。
ピナは、亡くなったんじゃなくて、ちょっと長い旅に出かけているだけなのよ、とずっと自分自身に言い聞かせていたように思います。
現実をどうにか受け入れられるようになったのは、ようやく今月に入ってからかもしれません。
ヴッパータール舞踊団が来日公演を行い、久々にその作品の魅力に酔いました。
でも、劇場のいつもの席に、ピナはもういない・・・。
びわ湖ホールでのパフォーマンスのあと、浅田彰さんと、ピナを偲んで公開トークをしました。
美しい思い出が溢れ出て、どれほど幸せな時をピナは私に与えてくれたか、改めて実感、深く感謝しました。
東京でダンサーたちと夕飯を共にしたのは、日本で最後にピナと過ごした同じレストランの同じ部屋でした。
ピナを身近に感じながら、カンパニーのみんなと、変わらぬ友情を確かめ合いました。
そして、ようやく
昨年の、ピナの公式追悼式典のお話も、今日お伝えできる気持ちになりました。
本拠地ヴッパータールのオペラハウスで、オフィシャルな追悼が行なわれたのは、9月4日のこと。
私も出席者のひとりとしてご招待をいただき、彼の地に飛んだのです。


カンパニーのゼネラル・マネージャーだったマティアス・シュミーゲルトを誘って、まずはピナのお墓へと向かいました。
町外れの墓所に到着し、花屋で花を選んでいると、映画監督のペドロ・アルモドヴァルとばったり。
一緒にお墓参りにということになりました。
私が、ピナが好きだった白いクリサンテーマムの大きな花束を頼むと、それを見ていたアルモドヴァルが、
「ボクにも、同じ花を、小さい花束で」
と注文しました。
大きい女が大きい花束を、小さい男(失礼。アルモドヴァルはあまり背の高くない人なんです)が小さい花束を持ち、ならんでお墓参りをしているようすは、ちょっと滑稽な映画の1シーンのようでもありました。
ピナのお墓は、緑の木々の生い茂る、とても静かな一角にありました。
すぐそばに、小さな池を見下ろすことができます。
ステージで水を使うのが好きだった彼女らしい情景です。
今にもダンサーたちがそのなかから踊り出て、ピナが振り付けしているような、そんな雰囲気だったのです。



夕方からの追悼式典に、オペラハウスは満席でした。
説明のアナウンスも、余計な飾りもない、シンプルでしゃれた演出でした。
まず、ウッパータール市長の挨拶があり、ノルトライン・ヴェストファーレン州知事、そして友人代表の映画監督ヴィム・ヴェンダースのスピーチと続きます。
驚いたのは、ヴェンダースのスピーチの途中なのに、舞台にメヒトヒルト・グロースマンが登場し、パフォーマンスを始めたことです。
足を壁に投げ出し、タバコを吸い、集まった全員が彼女の動きに釘付けになってしまいました。
いつのまにか、ヴェンダースの挨拶が終わり、ステージは、ピナ・バウシュのスモール・セレクションと呼ばれるパフォーマンスに突入します。
ピナの作品の中から、印象的なシーンを選りだして繋げたもので、ルッツが手話でガーシュウィンを歌うシーンや、女が眠ったまま男の手から手に渡されていくシーン、男女が激しく舞台を駆け抜けるシーンなどなど、思わず心沸き涙してしまう見事な盛り上がりでした。
やがて・・・ステージが終わると、集まった観客は全員スタンディング・オーベーションで、長い長い拍手を贈りました。
けれど、どれほど待っても、ステージに二度と明かりがともることはありませんでした。
舞台の上の暗闇に向かって、私たちは亡きピナを想い、立ち続けました。
いつまでも、いつまでも、いつまでも、拍手を贈っていました。



2010年6月30日  

楠田 枝里子